暮れの元気なご挨拶

晦日や元旦なんて所詮誰かが勝手に決めたもので、そんなものが存在しなければ、生活はこれからもずっと地続きで続いていくだけなのに、勝手に区切ってんじゃねえよ

そういった旨のことをDJ松永がまくし立てて、すかさずR-指定が「お前みたいなやつのために区切りがあんねん」とアンサーし、相方をなだめる。深夜番組でのそんな一幕を見て、完成されたコンビプレーに笑いつつも、続いていく日常に区切りが設けられていることの有難さについて考えてしまった日があった。たしかに明日になって年が明けたところで、私は今夜の晩御飯の残りを食べるし、大掃除をやり残したままの箇所は決して綺麗になったりなんてしないけれど、こういう区切りみたいなものがないと、人間頑張れないのかもね。

2021年は、学生から社会人という大きな区切りの境目を跨いだ年だった。社会人になってからは、当たり前だが、日々本当に新しいことだらけで、特に配属されてからは、来月の自分が何をしているのかの想像が全くつかないまま、あっという間に年末までたどり着いたような感覚だ。12月は特に忙しく、毎日仕事のことばかり考えていた。ただ、就職活動でたまたま辿り着いたこの職種は、幸いにも非常に性に合っているようで、仕事じたいは今のところとても楽しい。だから、不安で仕方なかったこの一年は、案外良い年になったのではないかなと思っている。

「変わらざるを得ない場所に出たとき、自分が今好きなもののことを、同じように好きでいられるとは限らないのかもしれない」というのは、学生最後の春休みに『花束みたいな恋をした』を観た私が日記に残していた感想だ。来月の自分が何をやっているかすら想像がつかないのに、来年の自分がどうなっているかなんてさっぱりわからないし、2年目になったら急に仕事に忙殺される日々を送っている可能性も大いにあるが、来年も、できるだけ自分の好きなものを大切にして生きていけたらいいなと思う。あともうちょっと頻繁にブログを書けるようにしたい。書きたいことはいっぱいあるのよ。

というわけで、来年もどうぞよろしくお願いします。