羊羮のような闇

◾️在宅続きの毎日なので、天気がいい日は退勤後に夜一人で近所を散歩している。ずっと続けていると、季節の移ろいによる夜の空気の変化がわかってくる。具体的には、空気の温度、重さ、匂いみたいなものが違っていて、あと色味もなんとなく変化している気がする。

江國香織さんが『きらきらひかる』という作品の中で、春の夜のことを「羊羮のような闇」と書いていたのが忘れられない。高校生の時にこれを読んで、あまりに印象的だったのでケータイのメモに書き残していたのだが、先日そのメモを発見して、改めてなんて美しい表現だろうと思った。(わたしは当時から今までに3回機種変更をしているが、毎回データをきっちり引き継いでいるため容量が常にギリギリなので、定期的に整理をしている。)春の闇の色が羊羹なら、初夏を迎えた今の夜の空気は群青色あたりだろうか。少し湿っぽくなった群青色の中を、早歩きで突っ切っていくのが心地よい。

 

 

◾️先日、生まれて初めて気を失って倒れた。飲んだハイボールが絶望的に身体に合わなかったのか、ほぼ1年ぶりに外でお酒を飲んだからなのか、たまたま体調が悪かったからなのか。いつもはこんなことないのに、この日は途中でなんかヤバいかもと思い、トイレに行ってくると言って席を立った。個室に入った途端視界が歪んで、気がついたときには片手を便器に手を突っ込んでその場に崩れていた。パッと目が覚めた瞬間は何がなんだかわからなくて、でもすぐに自分は今気を失ったのだと悟った。立ち上がったら嫌な汗が止まらなくて、身体から血の気が引いていってるのがわかった。気持ち悪さが襲ってきて、便器の中に吐いた。

人が一番孤独な時って嘔吐してる時なんじゃないかと思う。どうしようもない惨めな気持ちと、やっとわたしの身体の中の気持ちの悪いものを吐き出すことができたという安堵。こんな最悪なことになっている自分を妙に冷静に見ている自分が自分の中にいて、絶対誰にもこんな姿見られたくないけど、でも一人でこんなことになっていることが冷静な自分のせいでやけに強調されてとてつもなく虚しくなる気持ち。もう味わいたくないな。

 

 

◾️図書館で予約していた岸本佐知子さんの『死ぬまでに行きたい海』がついに手元に届いて、先日読み終えた。その中のこの一節が忘れられないほど好きだ。 

 

この世に生きたすべての人の、言語化も記録もされない、本人すら忘れてしまっているような些細な記憶。そういうものが、その人の退場とともに失われてしまうということが、私には苦しくて仕方がない。どこかの誰かがさっき食べたフライドポテトが美味しかったことも、道端で見た花をきれいだと思ったことも、ぜんぶ宇宙のどこかに保存されていてほしい。

 

本当に、切実に、その通りだと思った。そしてわたしは、そういう日常の中の些細な出来事や感情をまさに保存しておきたくてここで文章を書いているし、同じ世を生きる私ではない人が自分のために書いたその人だけの記憶を垣間見たくて、こうしてブログを覗きにきている。

 

 

 ◾️食べてみたいもの:

・魯肉飯 ・カルピスバター ・シカゴピザ ・マリトッツォ

 

 

◾️撮りためていた『コントがはじまる』を初回からいっきに観た。コントをやろうと声をかけた順番で揉めるところとか、お笑いの世界に誘った側が責任を感じてしまうところとか、そういうエピソードが出てくるたびについオードリーのことが頭をよぎる。

以前ラジオで若林さんが、「ネタ作りをずっと任せっきりの春日にずっとムカついてきたけど、よく考えたらネタを書いてもらう方は相方の脳みそに自分の人生を賭けてるわけで、それって凄いことだ(ニュアンス)」みたいな話をして二人で笑ってた回があって、その話が本当に好きだったんだけど、いつの回だったかな。

 

 

◾️梅田サイファーが4月末に出したフルアルバム「ビッグジャンボジェット」が、スキルフル&ハートフルで超最高なのでみんなに聴いてほしい。わたしは毎日聴いている。