春のせい

洗濯物を干しにベランダに出た瞬間、部屋の中より外の方がずっと暖かいことに、毎度新鮮に嬉しさを覚える。

春の風を感じるといつも思い出すのは、中学のソフトテニス部の体験入部のときのことだ。先輩たちのランニングの列の間に入って初めてアップに参加した日のこと。その時感じた春特有の風と日差しのかんじを今でも鮮明に憶えているのは、ついこの間まで小学生だったあの時の自分にとって、「中学の部活」というものに対する期待と恐れのようなものが途轍もなく大きく鮮烈なものだったからだろうなと思う。あれも、もう12年も前のことなのだ。

社会人3年目というと、もうかなり自立してバリバリ仕事をこなしていけるものなのだと想像していたが、実際私の現状は全くそんなことがなく、未だに先輩に頼らないとできないこと、わからないことは山ほどあるし、相変わらず何かするたびにいちいち不安になっている。こんな感じで果たして大丈夫なのかと時々急に不安になって、自分の職種と「3年目 レベル」みたいなワードで猛烈に検索をかけてしまう夜があったりするのだが、先日、去年の今頃の日記を読み返していたら、2年目になる昨年の春も同じようなことで不安になって、同じように夜な夜な検索をかけていたので笑ってしまった。春ってそういう季節なのかもしれない。3年目になっても憂鬱なことって絶えないのだなと思うとうんざりしてしまうが、もしかすると、自分の性格上、わたしは何年目になってもこんな感じなのかもな。

それにしても、久しぶりに過去の日記を読み返すと、今やもうすっかり忘れているような気づきや感情がいくつも書いてあって、改めて、日記は残しておくものだなと感じている。出来事としては覚えていても、その時感じたことや考えたことは、きっと忘れていってしまうことがほとんどなのだ。中学一年生のあの春のことも、きっと抜け落ちているより細やかな記憶がいくつもあるんだろうな。日記に残していれば良かったのに。

 

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先日、母とお正月ぶりに会って、二人で鎌倉に行った。高校一年生のときに家族で訪れて以来、毎年必ず一度は誰かしらと鎌倉に来ている。そのくらいわたしは鎌倉という街が好きなのだが、春の鎌倉は特別に好きだ。行く度に海の写真を撮ってしまうが、なんとなく春らしい色をしているなと思う。

朝早くから鶴岡八幡宮でお参りをしたあと、長谷まで歩いて、母がアド街で見たというカレー屋さんに並んでお昼を食べた。

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その後は、長谷寺に行ったり、高徳院で大仏を見たりした。大仏を見た母が、「700年以上ず〜っとここに座ってるんだよ、すごいね!」と言っているのを聞いて、たしか高校生の時に家族で来たときも全く同じことを言っていたなと思った。

 

初めて行くミニシアターで、『ケイコ 目を澄ませて』を観た。

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観ている間ずっと、心と身体の輪郭、または境界について、ぼんやりと考えていた。岸井ゆきのさんの目がとにかく凄まじかった。忘れられない映画がまた一つ増えたなと思う。

 

最近の移動と家事のお供は専ら「ストレッチーズのプリ右でごめん」になっている。同級生コンビのラジオは放課後の部室に例えられがちだが、この二人のトークは本当にそれそのもので最高です。マジでずっと浦高バスケ部の話してる。学生時代の思い出だけに限らず、ドラマや漫画や音楽といったコンテンツが、2人の中で当たり前に共有されてるのも良い。

ストレッチーズのプリ右でごめん | ストレッチーズ
https://radio.gera.fan/LMyR

 

滑り込みでお花見もした。去年は引っ越しでバタバタしていて全く桜どころではなかったので、今年は見に行けて良かった。

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新卒だった一昨年、一人暮らしを始めた去年と比べて、今年はそれほど大きな変化があったわけではなかったけれど、それでも春は、何故だかどうしたって心がざわざわする季節みたいだ。だけど桜が散るのは寂しいし、まだもう少し、この気候が続いてほしい。