「オトナ」

 

長い長い研修の日々が、いよいよ終わりに近づいている。つまり、私は7月も終わりを迎えようとしている今なお実務についていない状況にあるということなのだが、配属がどうしようもなく憂鬱だった私も、いい加減早く配属されたいという気持ちになっていて、むしろちょっと楽しみにすらなってきた。そんな最近を過ごしています。

 

超今更ながら、『ODDTAXI』をアマプラで観た。続きが気になり過ぎて丸一日であっという間に観てしまって、自分でのめり込み具合に引いた。長編小説とか連ドラとかでもそうなんだけど、そこそこ長くて普通数日かけて完走するようなものを1日で一気に摂取すると、その後しばらくその物語の世界から抜け出せなくなって、日常生活に影響をきたすくらい余韻をずるずるに引きずってしまうことになる。全13話を1日で見終わり、翌日余韻そのままに公式YouTubeに上がっているオーディオドラマも一気に聴いたわたしは、未だに主題歌を聴くだけで胸がキュッとなる病気にかかっている。


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PUNPEEのリリックの中に、「コミュニケーションなんて演技力」っていうラインがあって、いやマジでそうだよな……とやけに納得してしまった。シチュエーションや相手によってわたしはたしかに自分を加工し、「演じ」分けている。コミュニケーションなんて演技力。

これ、会社にいるとより実感する。会社にいる時間、わたしは間違いなく「社会人らしさ」を演じているし、他の同期や上司も、同じように会社という形式の中で、それに従って自分を変えて演じているのだと思う。そう思ったら、会社の中にいる時の居心地の悪さが腑に落ちた気がした。でも、こんなことを考えてしまうのはもしかしたら今だけなのだろうか。あと数年会社の中に身を置き続けたら、演技だったものが自然に自分の一部となって、全て当たり前になってしまう日が来るのだろうか。

5月くらいに投稿したブログの中で、その時の研修の中で毎日やたら余った時間が発生していて、そこで半強制的に行われる同期との雑談タイムがちょっとしんどい的なことをだらだら書いていたが、その後また別種の研修が始まって全く別のメンバーと研修を行うことになってから、そういった時間が全くないことにかなり息苦しさを感じている。相手の中身が全く見えず、形式に当てはめた仮の姿同士で共にプロジェクトを進めていくのって、結構しんどい。そんな中で、先日ほんの少しだけ、プロジェクトの中の隙間時間でメンバーと雑談的なことをすることがあって、そこでみんなとどうってことない話をしたら一気に緊張が解けたこともあった。無意識に自分を覆っていた分厚い膜が、少し薄くなった感じ。

そんなこともあって、雑談って絶対必要なものだったんだなと今猛烈に痛感している。成長成長。雑談ができるようになったわたし、大豆田とわ子と三人の元夫の慎森かい!

 

このブログでわたしはコミュニケーションがどうこうという話ばっかり書いているが、それは間違いなくわたしがコミュニケーションというものに対してどうしようもなく苦手を感じているからだ。 みんなが当たり前みたいにやっていることが全然できない。ひとつひとつの動作を、どうやったら自然にできるのかわからなくなって、変なところで緊張し始めちゃったりする。

中学生の時からそう。10分休みのとき、友達の机まで行ってお喋りしたかったけど、途中で話すことがなくなってしまったときの会話の切り上げ方、立ち去り方がわからなくて、ずっと自分の席にいるしかなかったことを急に思い出した。大人になった今、(最近はないけど)飲み会の後半、みんなが元いた席から離れて各々かたまり出す時間が苦手だけど、よく考えたら中学生の時から全く変わってないな。マジでうんざりしてしまう。

そういえば最近、CreepyNutsのオールナイトニッポンで二人がイベントでアルピーと一緒になった話をしていたけど、その中で平子さんが松永さんに話しかけて来た内容を腐す流れだったのに、Rさんが、自分は話しかけることすらできなかったと自省し始めちゃうくだりがあって、笑っちゃったけど同時にめちゃくちゃ共感してしまった。

こういうのって、大人になったらできるようになるものだと思ってたけど、そんなこと全くないんだなと常々思う。こういうことって本当にたくさんある。もうなるようになるでは済まされない歳なのにね。

 

それでは聴いてください、CreepyNutsで、『オトナ』。

 

オトナ

オトナ

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