入道雲を見る前に
夏の夜に聴くミツメが本当に良くって、最近夜に外を散歩するときは毎回聴いている。水分量の多い、重ための夏の空気に、歌声とギターの音が溶け合って、身体を包まれるみたいな感覚になる。同時になぜだかどうしようもなく切ない気持ちになるのがたまらない。
というか最近、ほとんど日が暮れてからしか外に出ていない。相変わらず毎日在宅勤務が続いているし、そもそも昼間は、家のドアを開けた瞬間、ぎらぎらと肌を刺してくる日差しの強さに身体より先に気力が負けてしまう。どうやらこの生活は今後も続くらしい。
研修を終え、現場に配属されてまだ一週間しか経ってないけど、配属されてからの方が毎日がずっとずっと楽しい。なんというか、前のような、形式にガチガチに押し込まれるような息苦しさがない。もっと、血の通った人間同士という感じ。そのことに心底救われている。まあ実際そうじゃないと仕事なんてうまく回っていかないよな。でも一方で、教育担当は教育担当の「テイ」があって、ああいう風にしないと仕方なかったんだろうな、とかも思ったり。
とにかく、置かれたこの場所ではやく一人前になって、仕事そのものを楽しいと思えるようになりたい。前向きブログ。
そんな中で相変わらずラジオは日々の生きがいになっていて、生活の一部になっている。朝の身支度中、昼休み中、退勤後家事をしながら……みたいな感じで、生活の隙間を埋めるようにしてラジオを摂取している。
粗品が副反応でお休みだった回の、霜降り明星annがとにかく凄くて、せいやの大天才っぷりが炸裂していた。マジでエンターテイナーすぎる。個人的優勝は「親にレゲエをやめろと言われたグーフィー」。
あとは、マヂラブann0がここ数週ずっと飯テロラジオやってるのがたまらない。いつだったか忘れたけど、村上さんが、「焼肉行く前にコンビニでチロルチョコを買って舐めながら行くと、最初のタン塩の塩っぱさが最大限味わえる」(ニュアンス)みたいな話をしていたのがすごくすごく好きだった。この話、なんか良くないですか?
そんな中、ここ最近で一番喰らったのは、8月3日放送回のCreepyNutsのオールナイトニッポン0のフリートークだった。完成したアルバムの制作過程について話している中でのこの部分、自分のためにここで書き起こししておく。
R−指定:—— ちゃんと自分の今までの行ないに対して、アンサーやったりけじめやったりケリをつけなきゃいけないと思ってたんやけど、ケリをつけて矛盾を正して……言うたら言葉を扱うわけですし、全部が俺の主観の表現やから。当然、間違ったこともいっぱい言ってるし、今も間違ったことはいっぱい言ってるんねやけど。それを、許されようとするのもちゃうんやなっていうのは思ったな。釈明するっていうのもたぶんちゃうわ、みたいな。その時はその時の俺で、今は今の間違いをビビらずに晒すしかないわな、表現は、みたいな。まあ、ちょっと真面目なんですけど、そうなりましたね。もう、しょうがないわ、みたいな。で、たぶんまあ未来の俺から見たら今の俺も突っ込みどころは満載やろうし今の俺も、みたいな。
DJ松永:間違っていない瞬間は今後ないし、間違っていない人もいないし。確実に正義みたいなのはやっぱりないよね。
R-指定:だからそういうところにずっと、抗っていこうとはしてたんやけど、知らず知らずのうちに自分も、ああ、正しさみたいなことを全うしようとしてしまっていたな、みたいな。
どこまでも真摯で誠実な人だなと思った。自分自身や、自分が放つ言葉に対して。
そして改めて、自分の生き様そのものを作品にするということの凄まじさを突きつけられて苦しくなった。だって、一度世に出したらそれがまるで自分自身の全てかのように受け取られてしまう。過去の自分とはもう違うかもしれないのに。自分が当時疑いなく信じていたものが、今改めて振り返ると間違っているかもしれないのに。それでも今の自分を認めて、その道程を作ってきた過去ごと肯定して、ありのままの自分自身を晒し続けることは、どれだけの覚悟が必要なのだろうと思う。*1
自分を刺し続けることの苦しさ。そしてそこから言葉を紡いで、世に放つということの重み。なんというか、ここ最近の開会式に伴うあれこれもあって、尚更考えてしまった。それでも、表現することに向き合い続ける人たちはやっぱり尊い。
刺さりすぎて苦しくなってしまったけど、同時に宝物みたいな話だった。一生覚えていたい。
というか、改めてこういう内省的な話を本人の口から直接聴くことができるから、ラジオが好きなんだよな〜。