雑記

バイトとレポート課題の締め切り以外何一つ予定がないこの長い1月を、淡々とこなすようにして過ごしている。

卒論の執筆中もそうだったのだが、提出物として何か長い文章を書くことを課されていて無理やり脳のスイッチを入れているようなときというのは、頭の中のそういう関連の部分が刺激されるのか、課題とは全く関係のないどうでもいいことまで次々と思い浮かんできてしまって、結果無性に文章が書きたくなることがある。そういうわけで、今私の頭の中には、途中まで気の向くままに組み立てて、結局中途半端なまま放置したジグゾーパズルのピースのような思考が散らかりまくっている。しかも、次から次に新しい部分に手をつけてしまう悪い癖のせいで、思考は一向にまとまらない。何か結論を出そうとする時って、結局、腰を据えてじっくり向き合わないと完成しないですよね。

 目の前に見えているやらなければいけないことだけをダラダラと消化するだけの毎日はあまりにも平坦で、だけどつまらないとかこれではまずいとか全然思っていないことに、うっすら危機感を覚えている。こんなご時世じゃなかったら、今頃何をしていたのだろうかと時々考えたりする。多分、海外に沢山行っておかなきゃ、とか、会っておきたい人に片っ端から連絡しなきゃ、とか、「今のうちに」の強迫観念に駆られて体力と気力を消耗していたような気がする。そう考えると、今の私はコロナ禍という言い訳を盾に、色々な面倒なことから逃れている気がしてならない。そしてそれと同じくらい、本当に楽しいこととの出会いも逃しているのだろうなとも思う。

 

そんな最近も私は相変わらず毎日ラジオを聴いているのだが、その中で好きだったラジオ番組の終了が早速決まってしまったことが、じわじわとショックで全然立ち直れていない。インターネットでいろいろな憶測が飛び交っているけど、理由がわからず別れを告げられることほど辛いことってないなと改めて思う。これはラジオの改編だけに限らない。就活も。恋愛もそう。

去年の夏から秋にかけて、毎日ラインをして、何度か二人でドライブに出かけて、流れで付き合うことになったものの、すぐに別れた人がいた。その彼が昨日突然夢に出て来て、目が覚めてからちょっと落ち込んだ。しかも結構いい夢だったので余計落ち込んだ。

付き合う前に一緒に過ごした時間はずいぶん長かったのに、付き合った瞬間、関係はあっという間に終わってしまった。その理由はなんとなくわかっている。一緒にいるのは楽しかったけど、いざ付き合うことになったら自分が彼のことを本当に好きなのか、よくわからなくなってしまったのだ。そのことにわたしは気づいていたし、それでもこれまでの時間になんとか意味をもたせたくて、好きだということにしている、ということも知っていた。多分だけど、彼もそうだったからこうなったのだと思う。なのに、なんで夢に出てきたりするのでしょうか。どういう深層心理なのか占って欲しい。もしかして、まだ引きずってるってことですか?

とはいえこれは私の想像で、別れようと言われたあの時、本心の見えない優しい言葉ばかりを並べられて、それをなぜか私はあっさりと受け入れてしまった。本当のことを知るのが怖くてその理由をきちんと尋ねなかったことを、今でも後悔している。ちゃんと聞き出さなかった私も私だけど、でも、「本当の言葉はいつでも誰かを傷つける」(©︎R-指定)けど、その場を切り抜けるための適当な言葉も、十分私を傷つけてるぞ。バカ。

だいぶ横道に逸れたが、これから3月にかけて、好きなラジオ番組で来年度のことを匂わせられるたびにドキドキしなければいけないのだと思うと気が重くなる。頼むからみんな無事に改編突破してほしい、という話がしたかったんです。

 

今更ながら読んだ村田沙耶香さんの『コンビニ人間』の読後感が、未だにまとわりついて離れない。「普通」に順応しようとする主人公の恵子にめちゃくちゃ共感できてしまうところがあった一方で、どんな出来事にも心が動かない恵子に対して、読んでいる私の方が気持ちが乗って動揺してしまうこともあった。そういう主人公を通して、読んでいる自分自身の感情が浮き彫りになって見えてくるのは、不思議な体験だったなと思う。

ほんと、「普通」ってなんなんでしょう。生きている中では色々な人に出会うけど、人を知れば知るほど、「普通」が何なのかわからなくなる。逆に、「本当の自分の気持ち」とかいうのも実際よくわからない。それもすらも実は、特定の、あるいは不特定の他者の意見をいつの間にか勝手に想像して、それを内面化して出来上がっているのかもしれない。それなら、自分っていうのもまた一体どこにあるのでしょうか。

 

冒頭の話じゃないけど、「今のうちにやっておかないと」みたいな焦りって、未来の私の焦りを想像して今焦っている訳で、それってすごいなとふと思ったりする。よく考えたら、私たちはいつでも、まだ見ぬ未来の自分のためを想って勉強をして、貯金をして、有意義な経験を積もうと奔走している。私も、教えている塾の生徒に、今勉強しておかないと将来後悔するよとか容易に言ってしまうけど、でもそうやって現在から想像する未来がいかに不確実なのかということを、このコロナ禍で思い知った気がする。

それでも、来るかわからない未来で過去(今)を後悔することを何より恐れている私は、今日もせっせと目の前に見えているやらなきゃいけないことを片付ける。