夏から秋にかけての覚書

今年の夏も秋も、というか全ての季節がこの町で過ごす初めてのものになる訳で、今年は今まで以上に、季節の変化に敏感になっていたように感じる。

今住んでいる部屋は西側を向いていて、しかも窓がその一つしかないので、今年の夏はまあまあ地獄だった。冷蔵庫にはファミリーパックのホームランバーを常備するようにしていて、夏場はそれを毎日食べて乗り切っていた。なぜホームランバーかというと、近所のスーパーでこれだけやたら安く売られているから。ミルク味のあのチープな甘さが、わたしは結構好きだったりする。夏場はあんなに憎かった西向きの部屋だけど、今の季節は、定時ごろになると空と町がオレンジと群青色の綺麗なグラデーションになっていく様子が仕事をしながら見えるので、まあ悪くないかなと思っている。

そんなこんなで気づけばもう11月も終盤。年末じゃん。愕然としちゃうわね。

 

相変わらず、2週に一回くらいのペースで休日にパンを焼く生活を続けている。自分でもよくもまあ飽きずにって感じで続けられていてびっくりする。というか、強力粉とドライイーストが同時に無くならない限り、続けざるを得ない気がしている。最近では、イーストの量を少量にしてじっくり時間をかけて発酵させてみたり、生地に混ぜる水の温度と量を変えてみたりなど、もはや研究みたいになってきた。こういうとき、自分の凝り性ぶりを実感する。使い続けるうちに、我が家の庫内激狭オーブンの癖もわかってきた。試行錯誤を繰り返した結果、今ではかなり上手にパンを焼けるようになったと思う。「趣味:パン作り」ってプロフィールに書きたい。

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最近焼いたレーズン入りのカンパーニュ。
研究の結果、クープがパカッと開くようになった!

 

 

ライブにも色々行った。直近だと、真空ジェシカとオズワルドのツーマンライブ『笑い屋キャリー2022』をルミネに観に行った。M−1準々決勝を翌日に控えた漫才師2組のネタ、仕上がりまくっていて、面白いを通り越してかっこよかった。真空ジェシカの出囃子を初めて生で聴くことができたのも嬉しかった。流れた瞬間、脳内物質がドバドバ出た。

ゆきこさん

ゆきこさん

  • Midori
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

ライブの後は、たまたまこのライブを見に来ていた大学のゼミの同期とばったり遭遇して、一緒に帰った。真空ジェシカの出囃子でぶち上がってしまったという話をしていた流れで、彼女が「もし自分が芸人になったら出囃子を何にするか」という話をしてきて、やっぱみんなそういうこと考えるよね〜!と嬉しくなった。私は、もし自分が単発のオールナイトニッポン0のパーソナリティになったら流す曲を何にするかについて、よく一人で考える。4時台でミツメの「Disco」を流すということだけはもう決まっている。出囃子については考えたことがなかったのでこれを機に考えてみているが、なかなか決められない。漫才をやるかコントをやるかにもよるよね〜。

 

春からあらゆる家事と移動時間を共にしてきた「真空ジェシカのラジオ父ちゃん」を、初回からアフタートークも含めて全て聴き終えてしまったので、現在は「ママタルトのラジオ母ちゃん」を初回から追っているのだが、これがまたメチャクチャ好きなラジオだった。日常生活のちょっとした出来事を掬い上げて広げていく二人のやり取りが愛おしいし、幼少期や学生時代の本当に些細な記憶が呼び起こされる瞬間もあってたまらない。先日聴いていた回では、「進研ゼミで赤ペン先生の提出物を出すともらえるシールを集めて努力賞プレゼントと引き換えるシステム」について触れていて、あまりの懐かしさから当時のプレゼントカタログについて画像をググってしまった。年度の初めに届くあのカタログを眺めるのが本当に好きだったことや、漫画家セットをもらったけどインクが勿体なくて結局使わずじまいになってしまったことを、十数年振りに思い出した。ネットラジオに手を出し始めてから、私のラジオライフが一段ステージを上げた気がしている。

 

徒歩圏内に映画館があるため(これは今の家の好きなところランキング・トップ5に入る)、例年と比べると映画もよく観に行った。中でも『メタモルフォーゼの縁側』と『マイ・ブロークン・マリコ』が特に良かった。

『メタモルフォーゼの縁側』は、自分がずっと受け取る側として好きだったものを、今度は「創る側」として自分でもやってみようとした時の、初期衝動的な胸の高鳴りや、自分が作ったものを外に向けて発信してみることの怖さや躊躇い、挫折、それでも誰かに届いたときの喜び・・・などといった感情が、とても丁寧に描かれていた。そういった全てが私の非常に個人的な記憶と結びついて、思いがけず心の柔らかい部分にぐっさり刺さってしまい、映画の途中、自分でも引くくらい泣いてしまった。誰とも共有できず、自分だけで孤独に愛してきたものを、クラスの人気者が簡単に好きだと言って周りと共有していることに対して「ずるい」と思ってしまうシーンなんかもめちゃめちゃリアルだと思った。芦田愛菜ちゃんが主演している映画、なんか毎回泣かされている気がするな。

『マイブロークン・マリコ』は、全体的に画の美しさがとても印象に残っている。鑑賞中、主人公のシイノがマリコの遺骨を持って向かった先の海の色や駅の雰囲気が、大学4年生のちょうどこの時期に旅行で訪れた青森の八戸の感じにとても似ているなということを何となく思いながら観ていたのだが、帰って調べたらロケ地が本当に八戸だったので、驚いた。

大学4年生の秋に撮影した、青森の海岸の写真

特に印象的だったのは、映画のラスト、シイノがアパートの自室に戻ってきた時のカットだ。突然死んだ大切な人の骨壷を奪ってから、夜中にドタバタで荷物を詰めて、あてもなく部屋を飛び出した、あの夜そのままの状態で散らかった部屋の中の物たちが、穏やかに朝日に包まれている様子を映したシーンがあったのだが、多分もう戻ってくることは無いという気持ちで出掛けた日のまま、旅先で色んなことがあった間も、ずっと変わらずそこに在り続けた物があるという事実に、何だかとても救われる思いがした。きっとこうやって人は日常に戻っていくのだなとこのカットを見て思ったし、どんなことが起こっても、生きている限りは、こうして日常を続けていく他ないのだと思った。なんとなくこの曲を思い出したりもした。

Leave my planet (feat. 鋼田テフロン)

Leave my planet (feat. 鋼田テフロン)

  • テークエム
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

朝にはちゃんと帰ります my earth

だってこの星で生きなきゃいけないからさ