Creepy Nuts 武道館公演と、勝手に重ねた「わたし」のはなし

 

11月12日、Creepy Nutsの武道館公演を観に行った。

もう一週間が経ってしまったが、どうしようもなく心を揺さぶられたこの日のことをどこかに残しておきたくて、今更ながらこれを書いている。

 

 

 

開演の1時間前に会場に入る。

開演まではずっと、日本語ラップが流れていた。

曲名まではわからないけど、声で誰の曲なのかわかってしまうことに自分で驚く。この前まで般若もzeebraも知らなかったのに。好きになってしまった人の影響力は凄い。

 

RHYMESTERの 『Future Is Born』の音量が徐々に上がってゆき、会場からはどこからともなく手拍子が鳴り始めた。だんだんと揃って大きくなる手拍子の音に、いよいよ始まるのだという会場の熱を感じるとともに、自分の鼓動が早くなっていることにも気がつく。

 

そして会場の明かりがぱっと消え、二人が『スポットライト』のイントロとともに中央ステージから登場した。

声出し禁止なのは重々承知してるけど、会場から思わず漏れ出てしまった「わあ……っ」という歓声に鳥肌が立つ。ここにいる皆がこの晴れ舞台を心から祝福してるんだと思ったら、うっかり涙が出そうになった。わたしも同じ気持ちです。


オープニングから、スポットライト→生業→耳なし芳一styleとハードな曲が続いた。

武道館の広くてシンプルなステージのど真ん中、そこでたった2人だけで繰り広げられるボースティングの説得力たるや。

 

その後は、メインステージにて4曲が披露される。

ヘルレイザー』のとき、目の前のヘッズ男子がぶんぶん頭振ってて最高だった。ライブ、あまりに楽しすぎる。

あとRさんて、ほんとにぴょんぴょん跳ねながら、ステージ上をあちこち走り回りながら、あの畳み掛けるようなラップを1人でしてて、まじで肺活量どうなってんだと思う。

 

 

ここからは、印象に残ったところの箇条書き。


・RさんのMC ①
武道館の円状の客席を見渡した時、サイファーと重ねてしまったという話。誰もいない円の内側に向かって仲間とただただラップしていたあの日から、今こんなに大勢のお客さんに囲まれて武道館の中心で歌っている、そんな彼のこれまでの軌跡に想いを馳せてしまった。2人を囲む輪の中に居られることの幸せを実感する。

 

・サントラ
改めてこの曲のエネルギーは凄い。この人たちの、飾らない、等身大から生まれるピュアさが好きだ。

2人は自分たちがヒップホップの先輩から受けてきた影響の話を各所でしてきて、この日ももれなくMCで色んな先輩ラッパーの名前が出てきたけど、彼らがそうしてきたのと同じように、この2人のヒップホップを「(私を含め)見たお前」が自分と「勝手に重ね」て、そしてそこからそれぞれがまた新しい何かを生み出されていくんだなと思ったら、表現の存在意義はこういうところにもあるのかもしれないなと思った。ライムスターの「今日の僕らが明日の創造主かもね」を思い出したりもした。

 

・シラフで酔狂、たりないふたり、トレンチコートマフィア
これらの曲を今でも歌ってくれることが嬉しかった。自分の情けなさや世の中へのやるせなさ、どろどろした思いも全部曝け出して、過去を肯定しながら進んでいく2人はきっと強い。

 

・RさんのMC ②
表現の話。自分にとってラップは表現手段でありセラピーだと言っていた。恨みも辛みもルサンチマンも、ラップにのせて表現にすることで自分を理解し、救われてきたのだと。

そのRさんの隣で話を聞きながら目に涙を湛えてしゅんとしている松永さん (いつもはラッパーのトークを遮ってまで喋るのに…) もまた、Rさんが紡ぐ言葉に救われてきたのかもしれない。そしてわたしもまた。

 

 

 

わたしがcreepy nutsを好きになったのは、割と最近、たしか今年の3月頭頃のことで、オールナイトがきっかけだった。
そこから音源はもちろん、ライブ映像や過去2人がやっていたネットラジオ、R-指定のバトルの動画まで漁るようになっていった。


その時ちょうど就活真っ只中だったわたしは、先の見えない不安でぐらぐらになった心の隙間を、ひたすらにcreepy nutsを見ることで埋めていた。

YouTubeの『生業』のライブ映像を毎日貪るように見ていたし、ほとんど逃げ込むようにしてADRENALINE2019の晋平太とのバトル動画を再生していた。

わたしにとって、creepy nutsは就活中のシェルターだったのだ。

 

たった400字で、20分間で、初対面の大人相手に自分をジャッジされにいかなければならない就活というものが、わたしには辛くてならなかった。本当の自分なんて出せたもんじゃないし、そもそも何が本当にしたいことかなんて分からない。いつの間にか、企業が求める人物像へと自分を思い切り寄せて、ガチガチに作り込んだ自分を演出するのに必死になっていることに気がついてうんざりした。面接は、毎回面接官との腹の探り合いのように感じていた。

 

そんな中で、「ここにはホンネがある」と思えたのが彼らのラジオだった。

弱さも足りなさも自信も、全てをリアルに晒け出す彼らの楽曲に、その場で出てくる「本当の言葉」を即興でぶつけて殴り合うMCバトルの姿に、私はこの時期心底救われた。

 

普段から2人がよく言っていることでもあるが、今回のMCで改めてRさんが言っていたのは、ヒップホップは頭からケツまで「俺の話」をする音楽である、ということだ。そのラッパーの思考や人柄や生き様がビートにのせて表現される、それがヒップホップなのだと。

「等身大」を表現するヒップホップにRさんが救われたように、(それとは少し違う方向かもしれないが)、わたしもまた、あなたのそのリアルな生き様に勇気を貰ってきたよと伝えたい。

 

 

 

本編ラストの曲は、『かつて天才だった俺たちへ』だった。

あっという間すぎる。でも時計を見たらもう2時間近く経っていて驚いた。

 

アンコールは、着替えた2人が出てきて、さっきまで濡れた子犬みたいに大人しかった松永さんも、いつものヘラヘラした様子に戻っていた。

武道館でもいつも通りに聖徳太子フリースタイルをやってくれたし、新ルーティンと新曲まで披露してくれた。


そして最後の『グレートジャーニー』は、これが本当の最後だと思ったら、寂しさが込み上げてきて泣きそうになった。でも、「また久しぶりとじゃあね繰り返し」と歌う彼らになら、きっとまたすぐに会えるような気がした。

改めて、なんて良い曲なのだろうと思う。また必ず会いにいくぞと、心に誓う。

 

 

武道館という特別な場所で、自分たちの「これまで」と「普段通り」をやってくれたことが本当に嬉しかった。当たり前だけど、過去と今は地続きでつながっているのだと感じた。そして、その続いていった先の未来のことをそっと想った。

 

仕事終わりでいらっしゃった隣の席のフォロワーさん(チケットを譲っていただいた)も、聖徳太子で「仕事が辛いから」と"マイナス金利"をお題に出したあの人も、学生最後の年であるわたしも、皆それぞれの生活があって、その中で偶然にもクリーピーナッツの音楽に出会って、この日、その彼らに会うために武道館へ集った。そして、「久しぶりとじゃあね」を繰り返しながらまた次へと進んでいくクリーピーナッツと共に、わたしたちの生活も、これからもまた続いていくのだ。たまに訪れる、こういうご褒美みたいな日を栄養にしながら。


来年から社会人として働いている自分をわたしは未だにうまく想像できないし、やっていける自信も正直あまりない。

けれど、日々の中で、たまにこうして好きな人の音楽に心を揺さぶられに行って、思い切り身体を揺らして、また日常に戻る。そうやって生きていけたら、たぶん幸せなのではないかと思う。

 

 

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この日見た武道館の景色を糧に、とりあえず今は目の前の卒論を頑張る……!