2023年

12月の中旬ごろに、引越しをした。というのも、今まで住んでいた部屋は会社名義で借りていた部屋で、そこには3年目の終わりまでしか住めない規則になっていたからだ。

それにしても、改めて引越しというのは、本当に疲れる。何が疲れるって、まず「住居」という生活においてかなりデカイ、というかほぼ基盤となるようなものを、あらゆる条件を考慮した上で最終的に自分の意思で一つに決定しなければいけないことだ。そして無事決まったら決まったで、諸々の契約・手続きや新居で必要な買い物などのやるべきことが次々と出現するわけだが、これにもいちいち比較と検討、決断が伴ってくる。引越しの一連の流れをやって、取捨選択をするということ、およびその決断の責任を負うということは、対象の大小にかかわらず、やっぱりものすごくエネルギーが必要なことだなと思うなどした。

エネルギーが必要なのはもちろん体力面に関してもそうで、「引越しは火事場の馬鹿力的なパワーが必要」と何かのラジオで誰かが言っていた気がするのだけど、これは本当にその通りだとつくづく思った。引越し前日〜当日〜翌々日くらいまでの数日間は、"引越し・ハイ" となっていたので、夢中で大量のダンボールを捌き、鬼のように掃除をし、ダイソーと家とを往復しまくったので、新居は結構早めに整ったのだが、その後どっと疲れて動けなくなったりした。

引越し、もうしばらくはやりたくないな。

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引越し当日の夜、現状報告で母に送った写真。限界感がある。

 


冒頭の「3年目の終わり」というワードに、自分で打っておきながら、小さく食らっている。最近よく思うのは、学生の頃に触れてきたドラマや小説の中で描かれていた主人公の悩みや葛藤が、当時よりずっと立体的に、実体を伴うより切実なものとして理解できるものに変わってきたということだ。大人になるってこういうことなんだろうな。だけどそういった環境や周囲の変化に、私自身はまだついていけていないような、いつまでもそれをどこか遠くから眺めているような感覚でもある。焦りの気持ちがずっと、薄っすらどこかにあって、早く落ち着いてしまいたいと思うけれど、実際に行動に移そうという気力もなくて、なんとなく、今ここにいる。退寮期限が決まっていた今回の引越しのように、何か強制力を持つような大きな理由がないと、今いる場所から自分はずっと動けない(動こうとしない)のではないか、というような予感すらする。

 

 

2023年、後半はほぼ部屋探しと引越しとで奔走していたので、なんだか殆どその記憶になってしまっているのだが、そんな今年の私を作った・支えたものたちについて、今年最後に振り返っておきたい。


▪︎台湾旅行

大学時代、パスポートを取った矢先にコロナ禍に突入してしまったため、ようやく行けた念願の初・海外旅行。台北の街をとにかくたくさん散歩して、とにかくずっとなんか食べていた。

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街の中で見つけた色々。

 


▪︎「キリエのうた」

映画館で観ることができてよかった作品。カタストロフ(震災)や国家権力と、キリエという路上ミュージシャンの対比が印象的だった。そういう、立ち向かいがたい大きな力に対する、市井を生きるいち人間による「今」を生きるための表現は、音楽そのものの起源を思わせて、なんだか根源的な音楽の力を見せられたような気がした。

雪の上でアイナ・ジ・エンドが歌う、オフコースの『さよなら』が、鑑賞後しばらく耳から離れなかった。

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▪︎名古屋旅行

9月あたまの名古屋はまだまだ暑すぎた。ここでも、朝から夜まで本当にずっとなんか食べてた。

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あつた蓬莱軒のひつまぶし。整理券を取るために酷暑の中並んだ甲斐があると思える美味しさだった。

 


▪︎「きのう何食べた season2」

毎週毎週、しみじみと良くて、ずっと続いてくれれば良いのにと今でも思っています。

シロさんレシピの時短ポテサラ、すでに3回くらい作っている。

 


▪︎「また点滅に戻るだけ」

配信で鑑賞。今まで見たダウ90000の本公演の中で、個人的に一番好きだった。他人が発した言葉が自分のものかのようになってしまうことになんとなく後ろめたさがあるという感覚への共感と、それを肯定してくれたこの台詞の凄さ。

「かっけえセレクトショップってことでいいだろ!」

 

 

▪︎「VIVANT」

本当にチョロいので、これを観て完全に「松坂桃李…♡…♡」となって過去の出演作を見漁っていた時期(秋)が、俺にもありました。

 


▪︎「ストレッチーズのプリ右でごめん」

今年一年かけて、初回から最新回まで全部聴いてしまった。高木の貫ちゃんと私は、同じ時期に内見をして、同じ時期に引越しをしていた。

 

 

▪︎「ギガラジオ」

こちらは最新回から徐々に過去回へ遡って聴いていて、今2020年までたどり着いている(今年は全く更新がされていない)。ラジ父を聴いていても思うけど、真空ジェシカの絶妙な距離感の仲の良さは本当に聴いていて心地が良く、理想的な関係性だなと思う。

 

 

▪︎お弁当作り

夏以降、ほぼ毎日出社で仕事をしていたので、弁当を作って持っていっていた。「面倒なことはしない」をモットーにしているけど、自分で自分のためにお昼休憩の自分を喜ばせるためのおかずを忍ばせたりするのは楽しい。日曜に、前日のSixTONESANNとオードリーANNを聴きながら作り置きのおかずを作る時間が何より幸せだと思ってしまう。

 

▪︎「Butter」

夏から秋にかけて、3ヶ月くらいかけて読んでいた小説。長編の小説を時間をかけて読むと、読み終わってからもしばらくその作品の世界から抜け出せなくなる感じが好きだ。

「ロックだよね、掃除とか料理とかってさ。愛情や優しさじゃなくて、一番必要なのは、パワーっていうかさ……。なまくらな日常にのみこまれないような、闘志っていうかさ」

www.shinchosha.co.jp

 

 

 

来年もすでにチケットを取っているライブがいくつかあるし、会う約束をしている友達がいることが嬉しい。

来年も、作って食べて、元気がある時には好きなものを見て聴いて、生活を続けていけたらいい。

最近のこと

新玉ねぎが好きすぎる。スーパーに出回っているうちにと思ってここ数ヶ月はほぼ毎週新玉ねぎを買ってしまっていた。ただ輪切りにしてオリーブオイルで焼いて塩をふったやつを気に入って、リアルに2日に一度くらいのペースで食べている。だんだんと野菜売り場で見かける頻度が減っていって、そろそろ食べ収めかと思うとちょっと寂しい。年中食べたい。近頃はとうもろこしが安くなりはじめていて、気づいたらもう、夏がそこまで来ている。

 


最近は、以前よりも仕事が楽しい。わかることが増えていくと、任されることも増えていく感じが楽しい。だから、仕事自体が楽しいというよりこれは、チームに貢献できているという実感を得られるようになったということに対する楽しさ、という感じだ。前までは、(まあ今もほとんどの場合はそうだけど、)何をするにもまずは一度人に教えを乞う必要があって、ハチャメチャ多忙な先輩の手をいちいち煩わせないといけないことに、どうしたって申し訳なさを感じてしまっていた。しょうがないことだとは思うんだけどさ。

任されることが増えていくということは、自然と労働時間も増えていくということで、今月はいつもと比べるとだいぶ残業をした。こういうふうに、タスク過多になっていくのだな、と、どう考えても忙しすぎる先輩や上司を見ながら思う。今いるプロジェクト、継続的にいろんな案件が降って来ていて、それはとてもありがたいことだけれど、この息つく暇のなさは、なんだか皿回しみたいだなと思う。このプロジェクトに入って、今月でちょうど1年になる。

 


5月の末、年休を取って、「さくらももこ展」を見にいった。わたしは、小学生の頃には母が高校生の時に買ったという『ちびまる子ちゃん』の単行本をセリフを覚えるくらいに読み込んでいたし、エッセイもほとんど読了済なので、たまらないものがあった。

正直今まで、「原画展」というものの良さがいまいちよくわかっていなかったのだが、今はわかるぞ。

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何度も見てきたさくらももこさんの字だ……!と興奮してしまった

 

ちびまる子ちゃん』の単行本に入っている「ももこのほのぼの劇場」というエッセイ漫画が、小学生の頃、特に大好きだった。子供の頃に感じていた、周りの大人は理解してくれない(気にしてくれない)ようなほんの些細な感情が鮮明に描かれていることに、子供ながらに感動していた。うろ覚えなのだが、例えば、父親(ヒロシ)が多くもらったお釣りをそのまま貰っているところを見て、警察に捕まらないかと本気で悩んでいた、というエピソードがあった気がする。(私も、父が「本当は絶対ダメだからね!」とか言いながら、信号を待たずに横断歩道ではない場所を渡ろうとするのが本当に本当に嫌で、不安な気持ちになっていたことがある。)

小学生ながらに、こんな大人がいるのだなと感動したのを覚えていて、私もさくらももこさんみたいに、今感じていることを大人になっても忘れないでいたいと思っていたことも思い出したりした。今度実家に帰ったら、久しぶりにちびまる子ちゃんを読もうと思う。

 

 

かなり前の話だが、4月に『14歳の栞』を見に行った。ずっと気になっていたけどなかなか見に行けず仕舞いだったので、再上映ということでなんとか滑り込んだ。

中学生の頃の私がインタビューされる立場だったら、なんて答えただろうということを見ながらずっと考えていた。あと、「中学時代」という、誰もが通る、人の人生にとっておそらく多大な影響を与える時期に直接関わっている学校の先生って、改めてすごい仕事だなとも思った。

 

 

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まードキュも見に行きました。

満員の映画館、これみんな大鶴肥満のこと見に来てる人たちなんだと思って嬉しかったし、ちょっと変な気持ちになった。

お笑いライブと同じように声を出して笑った。人生とは人との出会いだって、オードリーの若林さんが言っていたこと、本当にその通りだとこのドキュメンタリーを見ても思った。

 

 

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毎年咲くけど毎年写真を撮ってしまうでお馴染み、紫陽花。

近所のいたるところに紫陽花が咲いているこの季節が好きだ。散歩のしがいがある。

 

 

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6月あたまに岩手県を旅行した。写真は、新花巻駅から宮沢賢治童話村までの道のり。ただの歩道に黄色い花が並んで咲いていて、思わず写真を撮った。

花巻だけでなく、遠野と宮古にも行った。生粋の関東人なので、どこにいても山が見えるのにテンションが上がった。温泉と自然を摂取して、心がめきめき元気になっていくのがわかった。

 

時々こうやって心に栄養を補給をしながら、7月も日常を生き抜きたい。

もう7月て!

 

春のせい

洗濯物を干しにベランダに出た瞬間、部屋の中より外の方がずっと暖かいことに、毎度新鮮に嬉しさを覚える。

春の風を感じるといつも思い出すのは、中学のソフトテニス部の体験入部のときのことだ。先輩たちのランニングの列の間に入って初めてアップに参加した日のこと。その時感じた春特有の風と日差しのかんじを今でも鮮明に憶えているのは、ついこの間まで小学生だったあの時の自分にとって、「中学の部活」というものに対する期待と恐れのようなものが途轍もなく大きく鮮烈なものだったからだろうなと思う。あれも、もう12年も前のことなのだ。

社会人3年目というと、もうかなり自立してバリバリ仕事をこなしていけるものなのだと想像していたが、実際私の現状は全くそんなことがなく、未だに先輩に頼らないとできないこと、わからないことは山ほどあるし、相変わらず何かするたびにいちいち不安になっている。こんな感じで果たして大丈夫なのかと時々急に不安になって、自分の職種と「3年目 レベル」みたいなワードで猛烈に検索をかけてしまう夜があったりするのだが、先日、去年の今頃の日記を読み返していたら、2年目になる昨年の春も同じようなことで不安になって、同じように夜な夜な検索をかけていたので笑ってしまった。春ってそういう季節なのかもしれない。3年目になっても憂鬱なことって絶えないのだなと思うとうんざりしてしまうが、もしかすると、自分の性格上、わたしは何年目になってもこんな感じなのかもな。

それにしても、久しぶりに過去の日記を読み返すと、今やもうすっかり忘れているような気づきや感情がいくつも書いてあって、改めて、日記は残しておくものだなと感じている。出来事としては覚えていても、その時感じたことや考えたことは、きっと忘れていってしまうことがほとんどなのだ。中学一年生のあの春のことも、きっと抜け落ちているより細やかな記憶がいくつもあるんだろうな。日記に残していれば良かったのに。

 

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先日、母とお正月ぶりに会って、二人で鎌倉に行った。高校一年生のときに家族で訪れて以来、毎年必ず一度は誰かしらと鎌倉に来ている。そのくらいわたしは鎌倉という街が好きなのだが、春の鎌倉は特別に好きだ。行く度に海の写真を撮ってしまうが、なんとなく春らしい色をしているなと思う。

朝早くから鶴岡八幡宮でお参りをしたあと、長谷まで歩いて、母がアド街で見たというカレー屋さんに並んでお昼を食べた。

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その後は、長谷寺に行ったり、高徳院で大仏を見たりした。大仏を見た母が、「700年以上ず〜っとここに座ってるんだよ、すごいね!」と言っているのを聞いて、たしか高校生の時に家族で来たときも全く同じことを言っていたなと思った。

 

初めて行くミニシアターで、『ケイコ 目を澄ませて』を観た。

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観ている間ずっと、心と身体の輪郭、または境界について、ぼんやりと考えていた。岸井ゆきのさんの目がとにかく凄まじかった。忘れられない映画がまた一つ増えたなと思う。

 

最近の移動と家事のお供は専ら「ストレッチーズのプリ右でごめん」になっている。同級生コンビのラジオは放課後の部室に例えられがちだが、この二人のトークは本当にそれそのもので最高です。マジでずっと浦高バスケ部の話してる。学生時代の思い出だけに限らず、ドラマや漫画や音楽といったコンテンツが、2人の中で当たり前に共有されてるのも良い。

ストレッチーズのプリ右でごめん | ストレッチーズ
https://radio.gera.fan/LMyR

 

滑り込みでお花見もした。去年は引っ越しでバタバタしていて全く桜どころではなかったので、今年は見に行けて良かった。

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新卒だった一昨年、一人暮らしを始めた去年と比べて、今年はそれほど大きな変化があったわけではなかったけれど、それでも春は、何故だかどうしたって心がざわざわする季節みたいだ。だけど桜が散るのは寂しいし、まだもう少し、この気候が続いてほしい。

1月のこと

年末にコロナ感染し、31日までは自宅待機しなければならなかったため、今年は初めて一人で年を越した。いつも通りの晩ご飯を少し早めの時間に食べて、Twitterのタイムラインを眺めながら紅白を観て過ごした。昔から、何だかんだで紅白が好きだ。あの雑多なお祭り感が、日本って感じで。

 

実家には2日に帰ることにしていたため、1日はファーストデーということで、本当なら年末に観に行く予定だった『そばかす』を観に行った。

観ている間、苦しくなる瞬間がいくつかあった。わたしはわたしらしく生きていきたいという気持ちと、その「わたしらしさ」が世間から乖離している(であろう)ことに折り合いをつけることはとても難しくて、自分の中で納得できたつもりでいても、他者からの視線やちょっとした言葉で、それはいとも簡単に揺らいでしまう。そういう、自分の奥底にある核の柔らかい部分を刺激される苦しさだった。

途中、前田敦子演じる主人公の友人が、街頭演説中の自分の父親に詰め寄っていって抗議するシーンで泣いてしまった。帰り道、なぜあの場面で涙が出たのかについてずっと考えていたのだけど、たぶん、映画の中で感じた苦しさに対して、わたしもああやって大声で叫びたいと思っていたからなのだと思う。

主演の三浦透子が歌うエンディングがすごく良かったので、早速Apple Musicで検索して、聴きながら帰った。

風になれ

風になれ

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1月は、お笑いの配信ライブをたくさん買った。というか真空ジェシカが出ているライブは殆ど買って観てしまった。中でも、『AUN 〜コンビ大喜利王決定戦〜』での真空ジェシカのスマートすぎるコンビプレーが痺れるかっこよさだった。大喜利をしている真空ジェシカが好きすぎて、年末のコロナ療養期間には、4時間以上もある百喜利の動画をフルで観てしまったし、年始の深夜にやっていたフットンダもわざわざ録画して繰り返し観ていて、我ながら異様なハマり方をしている。ここ最近で、わたしの中の「三大カッコいい要素」が、・文章が上手い・楽器が上手い・大喜利が上手い の3つに固まりつつある。

 

今期のドラマは、『今夜すきやきだよ』と『ブラッシュアップライフ』を観ている。とくに『今夜すきやきだよ』は、ここ最近のドラマの中でも群を抜いて好きなドラマで、毎週大事に観ている。観ていて気づいたこと、というか反省したことがあって、例えば「料理がどうしても苦手で、できない」という人に対して、やろうと思えばできることじゃないのかと思う気持ちが、自分の中にもこれまで少なからずあったことを自覚した。でもそれは、自分も最初は出来なかったけど、やっていくうちに出来るようになったというあくまでも自分の経験からくる自分ベースの話でしかない。想像の及ばないことに対して、安易に拒絶してしまうような態度に傷つけられたことがあるはずなのに、自分のこれも同じことだなと思った。

 

今年に入って一番ショックだったことといえば、Creepy Nutsオールナイトニッポンが終了するということで、未だに実感がわかずにいる。ただただ寂しい。

このショックの大きさは、この人たちが自らラジオを辞める選択をすることは無いだろうと、こちらが勝手に信じていたことにも起因していると思う。実際、昨年秋の番組イベントの時に出した番組本の中では、「ラジオは終わってしまうと困る」みたいなことを本人たちが言っていた。でも、辞めることを決めたのは結構最近のことで、番組イベントの時には辞めるなんて考えていなかったとも言っていて、それを聞くと、人の心はいとも簡単に変化するし、人はずっと同じところにはいられないのだなということを、改めてしみじみと思ってしまう。

ショックだったことに変わりはないが、一方で、辞めると発表した時の彼らが「いろんな生き方を試してみたい」「もっとトライアンドエラーに時間を使いたい」と語っていたのがとても印象的で、そういう彼らの人生に対する向き合い方の真っ直ぐさに、どこか勇気づけられた自分がいることも確かだった。私は、なぜだかわからないが、自分の今の人生が仮のものであるかのような気持ちで生きている感じが、いつからかずっと抜けずにいる。人生一度きりだなんてわかっているはずなのに。だから尚更、5年も続けて、1部まで上り詰めたラジオを辞めるという決断をした彼らのことがとても眩しく思えたし、自分の背中も押してくれたような気がした。

 

以上、今更ながらの1月の記録でした。

2022年

会社の飲み会というものを、社会人2年目にして初めて経験した。事業部長とかも来るような、結構ちゃんとしたやつ。結果、自分の社会性の欠如っぷりにまあまあヘコんで帰ってきて、挙句の果てにはそこで濃厚接触者となり、自分も陽性になるという散々な年末を過ごしています。

幸いにも、1日だけ微熱が出た程度の軽症で今はもうすっかり元気だけど、2日までは実家に帰れないので、仕方ないから家中猛烈に掃除しまくっている。2022年は、自分は意外と掃除が好きだということに気づいた年でもあった。

 

 

「誰かと一緒にいたいという気持ちが芽生えてこないのは、もしかすると、自分が今、寂しくないからなのではないか」みたいな考えに至って悶々としていたのが昨年のちょうど今ごろで、そこから実家を出ようと決意してから新居を決めるまではあっという間だった。

たった一人しか住んでいなくても埃はびっくりするほどすぐに溜まること。夜に行くスーパーは割引シールがたくさん貼ってあってわくわくすること。天気が良い日は洗濯物がよく乾いてうれしいこと。以前は全く興味がなかった食器や家電を見ることが好きになったこと。初めて知ったことがこの一年でたくさんあって、そういう気づきと、「自分の力で生活をしている」という実感とを得られたことは、自分にとってとても良かったなと思う。

 

もう一つ気づいたことは、自分は一人でいるのが全然苦ではないということで、寂しさというものは物理的なところからくるものではないということだ。そういう自分を自覚しつつも、一方で漠然と不安になる夜は定期的に訪れるし、自分はこれで良いのだと割り切れるような自信は一つも持てていない。だけど、何か実際に行動を起こそうという気にも今はなれなくて、曖昧なまま、また一年が過ぎていった感覚でもある。また今年も終わっていくのだな。

 

 

振り返ると、今年はテレビドラマとお笑いをたくさん観て、相変わらず毎日何かしらのラジオを聴いていた。そういえば、年始早々アイドルグループにもハマった。本はあまり読めなかったので、来年は今年よりは読書をしたい。

 

今年も色々な配信ライブを見たけれど、一番印象的だったのは、なんだかんだで年始一発目の「ダイヤモンドno寄席」だったかもしれない。

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見ながら、自分はこういうお笑いが見たかったのかもしれないということを漠然と思った記憶がある。2023年も配信を買う予定。

 

ダウ90000の本公演と単独ライブを生で見に行けたのも良かった。今年1年でますますダウの飛躍が凄い。

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今年一番見た動画は間違いなくこれだったと思う。一時期は、1日1回これを見ないとやっていけない身体になっていた。年始早々ハマったアイドルグループというのはSixTONESのことです。

youtu.be

こういう、爽やかでポップなメロディーに少し影のある歌詞がのっている曲に弱すぎる。「ショーウィンドウに並ぶ僕ら 代替不可であれよフィギュア」なんて歌詞をキラキラのアイドルが歌うことの意味よ。

 

 

生きていることにどうしようもなく悲観的になったり、新しいときめきの瞬間に出会ったり、そんなのまあ今年に限ったことじゃないんだけど、そういう1年も一旦区切りということで。

来年も、よろしくお願いします。

 

 

洗濯物が乾かない

 

ほとんど手付かず状態のキムチの賞味期限が5日過ぎていたので、今週は毎日キムチを食べ続けていた。最初はそのまま白米に添えて食べたりしていたけど、途中で思い立って、キムチと豆乳とすりごまを合わせてその中に冷凍うどんをぶち込んでレンチンしてみたところ、メチャクチャ美味しくて天才かもと思った。味付けは麺つゆ。

適当に作った簡単ご飯でもおいしくできると自己肯定感が高まるので、家事の中では料理が一番好きだ。美味しかったので次の日も同じものを作ってお昼に食べた。よく見たらすりごまも10月末に賞味期限が切れていた。

 

猛暑だろうが風邪だろうが、いつだって食欲だけは一丁前で、毎日ご飯のことばかり考えているような人間なのだけど、最近落ち込むことがあって、そのときばかりは流石にご飯が喉を通らなかった。喉、というよりこういうときは、お腹の下部がずっしりと重く、胸の辺りがヒューヒューして、身体の中に何も受け付けられない感じがする。ヘトヘトで帰宅し、何も胃に入れないままベッドに倒れ込んで、布団の中で、もうこのまま沈んで消えてしまいたいなと思った。そんな気持ちとは裏腹に、翌朝7時のアラームをセットするためにもう一度布団から手を伸ばしている自分がいて、なんだか可笑しかった。こんなだって、生きている。

このときのこと、何となく、ここに書き残しておこうかなという気持ちになったのではてなブログを開いてみたけれど、いざ書きはじめると、自己否定の気持ちと失望感が過剰な方向に向かい、思考がどんどん悪い方向に煮詰まっていくのが自分でわかったので、途中でやめた。安易に言語化しない方が良いこともあるみたい。というか今回の場合、まだそのタイミングではなかったのだと思う。書けるようになったとしたら、そのときは、克服したときかもしれない。

 

 

今週から急にぐんと気温が下がって、ああ、冬ってこんな感じだったよなと思った。この前まで、段々寒くなってきて嬉しいななんて思ってたけど、いざ冬が本気を出してくると、たまったもんじゃない。冬、毎年経験してるのにね。

夏から秋にかけての覚書

今年の夏も秋も、というか全ての季節がこの町で過ごす初めてのものになる訳で、今年は今まで以上に、季節の変化に敏感になっていたように感じる。

今住んでいる部屋は西側を向いていて、しかも窓がその一つしかないので、今年の夏はまあまあ地獄だった。冷蔵庫にはファミリーパックのホームランバーを常備するようにしていて、夏場はそれを毎日食べて乗り切っていた。なぜホームランバーかというと、近所のスーパーでこれだけやたら安く売られているから。ミルク味のあのチープな甘さが、わたしは結構好きだったりする。夏場はあんなに憎かった西向きの部屋だけど、今の季節は、定時ごろになると空と町がオレンジと群青色の綺麗なグラデーションになっていく様子が仕事をしながら見えるので、まあ悪くないかなと思っている。

そんなこんなで気づけばもう11月も終盤。年末じゃん。愕然としちゃうわね。

 

相変わらず、2週に一回くらいのペースで休日にパンを焼く生活を続けている。自分でもよくもまあ飽きずにって感じで続けられていてびっくりする。というか、強力粉とドライイーストが同時に無くならない限り、続けざるを得ない気がしている。最近では、イーストの量を少量にしてじっくり時間をかけて発酵させてみたり、生地に混ぜる水の温度と量を変えてみたりなど、もはや研究みたいになってきた。こういうとき、自分の凝り性ぶりを実感する。使い続けるうちに、我が家の庫内激狭オーブンの癖もわかってきた。試行錯誤を繰り返した結果、今ではかなり上手にパンを焼けるようになったと思う。「趣味:パン作り」ってプロフィールに書きたい。

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最近焼いたレーズン入りのカンパーニュ。
研究の結果、クープがパカッと開くようになった!

 

 

ライブにも色々行った。直近だと、真空ジェシカとオズワルドのツーマンライブ『笑い屋キャリー2022』をルミネに観に行った。M−1準々決勝を翌日に控えた漫才師2組のネタ、仕上がりまくっていて、面白いを通り越してかっこよかった。真空ジェシカの出囃子を初めて生で聴くことができたのも嬉しかった。流れた瞬間、脳内物質がドバドバ出た。

ゆきこさん

ゆきこさん

  • Midori
  • ロック
  • ¥255
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ライブの後は、たまたまこのライブを見に来ていた大学のゼミの同期とばったり遭遇して、一緒に帰った。真空ジェシカの出囃子でぶち上がってしまったという話をしていた流れで、彼女が「もし自分が芸人になったら出囃子を何にするか」という話をしてきて、やっぱみんなそういうこと考えるよね〜!と嬉しくなった。私は、もし自分が単発のオールナイトニッポン0のパーソナリティになったら流す曲を何にするかについて、よく一人で考える。4時台でミツメの「Disco」を流すということだけはもう決まっている。出囃子については考えたことがなかったのでこれを機に考えてみているが、なかなか決められない。漫才をやるかコントをやるかにもよるよね〜。

 

春からあらゆる家事と移動時間を共にしてきた「真空ジェシカのラジオ父ちゃん」を、初回からアフタートークも含めて全て聴き終えてしまったので、現在は「ママタルトのラジオ母ちゃん」を初回から追っているのだが、これがまたメチャクチャ好きなラジオだった。日常生活のちょっとした出来事を掬い上げて広げていく二人のやり取りが愛おしいし、幼少期や学生時代の本当に些細な記憶が呼び起こされる瞬間もあってたまらない。先日聴いていた回では、「進研ゼミで赤ペン先生の提出物を出すともらえるシールを集めて努力賞プレゼントと引き換えるシステム」について触れていて、あまりの懐かしさから当時のプレゼントカタログについて画像をググってしまった。年度の初めに届くあのカタログを眺めるのが本当に好きだったことや、漫画家セットをもらったけどインクが勿体なくて結局使わずじまいになってしまったことを、十数年振りに思い出した。ネットラジオに手を出し始めてから、私のラジオライフが一段ステージを上げた気がしている。

 

徒歩圏内に映画館があるため(これは今の家の好きなところランキング・トップ5に入る)、例年と比べると映画もよく観に行った。中でも『メタモルフォーゼの縁側』と『マイ・ブロークン・マリコ』が特に良かった。

『メタモルフォーゼの縁側』は、自分がずっと受け取る側として好きだったものを、今度は「創る側」として自分でもやってみようとした時の、初期衝動的な胸の高鳴りや、自分が作ったものを外に向けて発信してみることの怖さや躊躇い、挫折、それでも誰かに届いたときの喜び・・・などといった感情が、とても丁寧に描かれていた。そういった全てが私の非常に個人的な記憶と結びついて、思いがけず心の柔らかい部分にぐっさり刺さってしまい、映画の途中、自分でも引くくらい泣いてしまった。誰とも共有できず、自分だけで孤独に愛してきたものを、クラスの人気者が簡単に好きだと言って周りと共有していることに対して「ずるい」と思ってしまうシーンなんかもめちゃめちゃリアルだと思った。芦田愛菜ちゃんが主演している映画、なんか毎回泣かされている気がするな。

『マイブロークン・マリコ』は、全体的に画の美しさがとても印象に残っている。鑑賞中、主人公のシイノがマリコの遺骨を持って向かった先の海の色や駅の雰囲気が、大学4年生のちょうどこの時期に旅行で訪れた青森の八戸の感じにとても似ているなということを何となく思いながら観ていたのだが、帰って調べたらロケ地が本当に八戸だったので、驚いた。

大学4年生の秋に撮影した、青森の海岸の写真

特に印象的だったのは、映画のラスト、シイノがアパートの自室に戻ってきた時のカットだ。突然死んだ大切な人の骨壷を奪ってから、夜中にドタバタで荷物を詰めて、あてもなく部屋を飛び出した、あの夜そのままの状態で散らかった部屋の中の物たちが、穏やかに朝日に包まれている様子を映したシーンがあったのだが、多分もう戻ってくることは無いという気持ちで出掛けた日のまま、旅先で色んなことがあった間も、ずっと変わらずそこに在り続けた物があるという事実に、何だかとても救われる思いがした。きっとこうやって人は日常に戻っていくのだなとこのカットを見て思ったし、どんなことが起こっても、生きている限りは、こうして日常を続けていく他ないのだと思った。なんとなくこの曲を思い出したりもした。

Leave my planet (feat. 鋼田テフロン)

Leave my planet (feat. 鋼田テフロン)

  • テークエム
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥255
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朝にはちゃんと帰ります my earth

だってこの星で生きなきゃいけないからさ